明日の保証はない。

昨日はwaccaという、新作音ゲーの稼働日でした。上級者が多い環境で新しく音ゲーを始めるのってなかなか怖いですよね。ただ、新しく稼働したゲームならみんな初心者なわけで、そこを気にする必要はなくなります。

そして、音ゲーの曲ってやっぱりハイクオリティなんですよ。ということでもしwaccaというゲームを見かけたら、一度やってみてほしいなと思います。自分のおすすめはUSAOさんです。

 

ここまでは昨日のいい話。

 

waccaしてたら、親からLINEが。

「近所で家族喧嘩の末、包丁を持ち家を出た男がいる、というメールが来た。気をつけて。」要約するとこんな感じです。

外にいる人間のうち、誰が刃物を持っているかなんて分かったこっちゃない。いつどこで通り魔が発生するのかなど予測する術はない。

幸いにもこの話は大事に至ることなく、その男は保護されたようだ。

 

しかし、大事に至ってしまった事件が同日に起こってしまった。

 

当然全国で報道されたものだし、Twitterのトレンドでも上位を独占したものであるから、ここでその事件について詳細を述べる必要はないだろう。

職場で働いていた、何の罪もない人間が33人殺された。この数字はここから増えてしまうかもしれない。

 

自分以外の人間が何を考えているのかを目で見ることは出来ない。いつ、個人にとっての普通が普通でなくなるかなど分からない。

この世界に安全地帯は存在しない。人とすれ違うときにその人に刺されるかもしれない。電車を待っていたら、後ろの人に押されて電車に轢かれるかもしれない。不慮の事故や災害に巻き込まれてしまうかもしれない。そして、建物なんて燃やせば終わり。

このようなことは、起こらないことが当たり前。報道はされても、20年間生きていても自分の目の前で起きたことはまずない。とは言ったけど、2007/5/5に起きたエキスポランド脱線事故のときはかなり近くにいたね。12年経った今でも混乱した周辺の様子と上空のヘリコプターの記憶は鮮明です。

 

それでも、周りの人やものを信用してみんなが社会生活を送っています。それが当たり前です。

ただ、自分が当たり前のように毎日生きていることに対して、何も思わないのは良くないのかもな、そんな思いが芽生えました。

人は生物なので、それが内的要因か外的要因かはさておき、必ず"その時"が来ます。"その時"のためにやはり後悔のない日々を送りたいな、という気持ちを再認識しました。ちょっと薄っぺらくてすみません。

後悔しないうちに、今しか出来ないことをやっておきましょう。自分もそうしたい。

 

 

加害者への極刑を望むとともに、亡くなられた方々へのご冥福をお祈りして、今日のブログの〆とさせて頂きます。