成功体験

前記事の続きです。読んでない人は読んでからどうぞ。

 

dki.hateblo.jp

 

見た目では同族になりつつあった自分とmsdさんの決定的に違う点。

 

それは、彼はバンドで成功しているという点だ。対して自分は今成功とはかけ離れた人生を送っている。

人間は不平等であり、"何の取り柄もない"自分は成功できないのかな、このまま哀れな末裔のまま死んでしまうのかな、という焦燥感、そしてそこから来る怒り。そんな感情が芽生えてきた。

"取り柄"とはなんだろう。

例えば、普通に学校に行き、普通に働き、普通に結婚して子供を産み普通に育児をする人間。普通という型にはまれるというのも一つの才能、"取り柄"だと思う。それは現代社会における人の大多数のあるべき姿がそれだとされているからであり、そして自分が普通という型にはまれそうにないと感じるからでもある。

普通という型にはまれない人間の大多数は社会不適合者となり除け者とされてしまう。もちろん、それにはまらなくても才能があれば成功し人生を楽しく有意義なものにできるとは思う。某msdさんはこれに該当するだろう。では、才能がなくてそれにもはまれない人間は?何の生産性もない、生きる癌ではないか?

将来の自分が生きる癌になることへの恐怖が自分を締め付ける。失敗を恐れ、何事においてもチャンスを活かせる状況にない。その状況さえも作れない自分への自己価値は下がっていく。

こうやって負のループに入ってしまっても何もいいことがないのは自分が一番分かっている。ただ上昇気流に乗れぬままもう3年ぐらいは経つだろう。そろそろ上昇気流に乗るラストチャンスも近くなってくる気がしてならない。そんな思考が自分を苦しめる。このように、負のループから抜け出すことを考えること自体が負のループを生む思考になってしまっている。

だから思考を止めるしかない。何も考えずに音ゲーをしてメダルで遊ぶ瞬間が麻薬になる。そして、思考を止めていると自覚した瞬間に最悪な気持ちになる。自分のお決まりのパターンだ。

 

 

おそらくこの思考を止める方法は一つしかない。

成功すること。

最初から大きな成功である必要はない。小さな成功を積み重ねればいい。その成功体験が積み重ならずして大きな成功はない。

失敗ばかりの19歳までを送ってきたからこそ、20歳にもなって焦りが先行してしまうが、今は小さな成功体験を積み上げる時期に充てたい。感受性豊かなこの時期に色々なことを体験・吸収し、面白い人になりたい。

 

これが当面の自分の目標です。

 

成功したいね。じゃ、また。次はたぶん明朝~昼あたりにコパの記事。