"STELLAR into the GALAXY" の現地がマジで良かった話を意のままにするオタク。

開いて下さりありがとうございます。

 

注意!

この文章はいつものブログと違って、

「ギリギリ相手に読ませる気がない」くらいのクオリティになると思います。

というのも、

今の気持ちを表現する語彙力が自分にはありません。

学識がないオタクでごめん!!

そんなで良ければ、この先も是非お読み下さい。

 

 

 

ということで2021年10月21日、ホロライブ所属のVTuber、星街すいせいによる1stソロライブ、"STELLAR into the GALAXY" が豊洲PITにて開催されました。

星街すいせいって誰や?って方もいるかも知れないので軽く説明しておきますと、

「バラエティ性を持ちつつも、その歌唱力で歌手としても勝負できる、類まれな才能を持つVTuberと認識しておけばOKです。あとテトリスがめっちゃうまい。

最近ではアイドルマスターシリーズなどでおなじみのイノタクことTAKU INOUEのソロデビュー1曲目、「3時12分」のボーカリストに抜擢され話題になりました。同氏は星街すいせいの初となるフルアルバム、「Still Still Stellar」にも楽曲「Stellar Stellar」を提供しています。もちろんこの2曲はセットリストに入ってます。

 

と、まあ説明はこれくらいでいいですか?俺は早く感想を書きたいんだ!!

 

ってことで感想書くよ。ストリーミングにアルバムあるからみんな聞いてね。

 

 

まず開演前のところから。

今回座席が29列あったっぽいんですけど、なんと5列目のほぼ中央を握ってました。

当てるだけでも幸運なのに、ガチで最強の席を引き当てていました。なので着席時から逆に俺が緊張してました。緊張しすぎて開演前に来た震度1地震速攻で分かった。

 

で無事に開演しまして。感想記事にあるまじき話なんですけど、音が気持ちよすぎて脳みそ溶けちゃってたので記憶が曖昧です。

 

1,GHOST

2,駆けろ

3,バイバイレイニー

 

個人的には1曲目駆けろ来るかなーと思ってたり。そんな感じで序盤に来ると思ってた曲がしっかり来てテンションが上がる。音が気持ちいい。

ちなみにここまでは無料で見れます。是非。

 

 

4,Bluerose

5, Je t'aime

6,自分勝手Dazzling

 

テンション高揚止まらん。このあたりでもう脳みそぐちゃぐちゃ。

自分勝手Dazzlingは実は音楽ゲーム「CHUNITHM」への書き下ろし楽曲なので同ゲームでプレーできたりします!

 

 

7,Galaxy Destiny

8.OUT OF FRAME

 

この2曲は"とこまち"の愛称でお馴染み、"戌亥とこ"とのデュエット。

戌亥とこについて簡単に説明すると、にじさんじ所属のVTuber現在の俺の最推し

普段のおっとりマイペースな雰囲気からは想像できない圧倒的歌唱力で観る者を魅了し続けています。

そんな二人の共通点は、あんスタことあんさんぶるスターズ!シリーズのオタクであること。

"とこまち"によるあんスタ曲のカバーが何曲かYoutubeに上がっていたり、また2020/12/10に行われた戌亥とこの1stソロライブではすいちゃんがゲスト出演してデュエットであんスタ曲を歌ったりしてます。

 

ちなみに俺はこの戌亥のソロライブも現地だけど、お前は?(マウント取り)

 

実際とこまち両方のソロライブに現地参戦できた人、マジで少ないと思います。ちなみに俺は両方1次抽選で当てました。強運すぎだろ俺。

なおこの運は先月盲腸になったことでギリ収束させてます。詳細は前の記事で。

 

で本題に戻るんですけど、7曲目はそのあんスタからです。あんスタ詳しくないんだけど聞く限りいい曲しかないよな。もっととこまちのあんスタカバー聞きたいね。

 

そして8曲目はなんと初お披露目のオリジナル曲!マジでどデカい声出ました。ちなみに発声禁止なので声出してません。

 

そしてここで個人的な唯一のガチ反省点&懺悔なんですけど、この曲入る辺りでサイリウム2本持ちを注意されちゃいました。あ、一応なんですが2本持ちしたのはとこまちになってからです。

これに関してはさっき注意事項読み直したらちゃんと1つの手に1本までって記載があったので全部俺が悪いです。注意事項はちゃんと読もう!マジですまん。この後はちゃんと両手でコラボ終わるまで2本振りましたとさ

 

とは言っても推し*2のオリ曲でテンションが下がるわけないよな。脳みそグチョグチョ。かっけえ。気持ちいい。

この曲、配信もスタートしてるらしいです!

 

 

9,ひかりのまち

10,The Last Frontier

 

この2曲は同じホロライブ内の"イノナカミュージック"に所属する"AZKi"とのデュエット。

イノナカミュージックは簡単に言うとホロライブ内の音楽レーベルみたいなもの。実はかつて星街すいせいもホロライブではなくイノナカミュージック所属だった、という経緯があります。

そのため、昔からこの2人でのイベントなども何度かあったそう。その頃はまだV追う前だった、、

そんな経緯を持つ二人のオリジナル曲が2曲。二人を知れば知るほど、The Last Frontierでグッと来る。

 

 

11,Starry Jet

12,comet -Midnight Jazz Arrange-

 

この辺からもうガチの"エモ"になってきます語彙0。自分が適切な語彙を探すことのほうが恐れ多いです。

12曲目のcometのアレンジなんですが、自分の知識不足で完全に初耳でした。どうやらアルバムの店舗別購入者特典のCDで入ってたっぽい。本当に良いアレンジです。

 

 

13,3時12分

イノタクありがとう。

 

14,Andromeda

15,天球、彗星は夜を跨いで

ナノウ、キタニタツヤ、ありがとう。

 

16,Stellar Stellar

イノタク、好きです。

 

ENCORE1,キラメキライダー☆

ホロライブ、好きです。

 

ENCORE2,NEXT COLOR PLANET

星街すいせい、好きです。

 

 

おわり!!!!

 

いいじゃん。言葉にできない感動があったってさ。

てか、言葉にできてしまう感動なんて大したことないんだよな。言葉にできない感動こそが自分の許容を上回っている感動なんだしさ。だから、このレポはこれでいい。

 

もうなんか〆の言葉も思いつかん。音楽すげえわ。もうなんか呂布カルマvsR-指定みたくなっちゃった。やっぱコイツ強ぇわ。

でも、音楽で"世界は変わる"ね。本当に。

 

ってことでこんな感じで言葉に言い表せないほどの最高の体験をすることができました。気持ちいいまま今日は寝ようと思います。ありがとうございました!

23歳になりました。

ということで9/16は私の誕生日です。

本来誕生日というものは喜ばしいものですが、去年辺りから誕生日に対して"喜び"よりも、"若者から離れていく焦り、悲しみ"のほうが大きくなって来てしまっているのを実感しています。

現状レールから外れてしまっている状態の自分にとって同い年の周りの人間が活躍したり、人として正しいレール上の生活をしている姿を見ると、少なからず心が締め付けられる。そんな日々を送っています。

 

"何の取り柄もない"人間でも、それを自覚し、才能を諦めることで所謂普通の生活を送ることは可能です。恐らく世の中の95%はここに収まることで、普通の生活を送っているものだと思います。

この「自覚し諦める」事が出来る思考は、自分は精神の成熟とともに身につくスキルだと自分は考えています。

小さい頃に大きな夢を持つ。成長していくにつれ、自分より優れた、より才能がある人間に出会う。自分に才能がないことを突きつけられる。そして夢を諦め、レールに沿った人生を歩んでいく。これはとても一般的な精神の成熟の一途だと思います。

ただ自分は、このような精神の成熟過程を辿れないまま23歳になってしまいました。

"才能がある"と言われ続け育った自分にとって、自分のアイデンティティは"何らかの才能"で構築されてしまっており、だからこそ"それ"を否定することは自己の存在を否定することに直結してしまう。これが23歳、現在の自分の思考です。

このような自己が構築されてしまった原因を育てた親に求めるのはとても簡単なことです。自分の非を、思考停止しながらすべて放棄することが出来るからです。3年くらい前は、自分もこの思考でした。

ただ、やはり過去に原因を求めても現状の解決には何も貢献してくれません。重要なことは、将来・未来の自分が現在の思考とどう向き合っていくか、もしくはどう変えていくかです。

そろそろレールに乗らずに生きていく方法を見つけるか、もしくは何らかの形でレールに乗り直す必要がある時期に差し掛かっています。ただ自分がそうするためには、やはりアイデンティティである"何らかの才能"の「何らか」を明らかにする(現在の思考と向き合う)か、凡才を自覚しディスアドバンテージを背負った状態からレールに乗り直す努力をする(現在の思考を変える)必要があります。

 

ということで、23歳の目標。

(賭博以外で)自分の人生に直結する大博打を1つ打つ。

自分の才能を肯定できる可能性のある博打を1つ打ってみたいな、と思います。そしてその博打が失敗しても、自分の才能に見限りをつけられる。そんな後悔のない博打が理想です。

博打の結果が1年後には出ないかもしれません。それでも、結果が出る、もしくは結果を決めるまではその博打は成功するものと思ってやり続ける必要があると思っています。

 

賽は投げられた。

 

1年後、平和な世界で成長して会えるのを楽しみにしています。もし会えたら、その時は私の24歳を盛大に祝ってください。

9/16、覚え方は3の2乗に4の2乗です。ぜひ覚えておいてください。

 

それでは、23歳、スタート。

ワクチン2回目打った3日後に盲腸でヤバかった話

初めに注意事項と結論だけ書いときます。

 

この記事はいわゆる「反ワクチン」を推奨するものではありません。

未知の病と闘っていかねばならない現状で最も効果があるのはワクチン接種による集団免疫だと思っていて、むしろ反ワクチンを謳う方々には一刻も早く考えを改めてもらうか、未知の病に斃れて頂きたいというのが自分のスタンスです。

その上で、

これからワクチン接種(とくに2回目)を控えている方々にはとにかく体調を万全にして接種を受けてもらいたい

というのがこの記事の結論です。自分は多少の腹痛を押して接種を受けた結果、タイトルの通りになりました。この記事はその際のメモのようなものになります。不安を煽る気はありませんが、現在の病院の切迫した状況について実際に体験しないとわからない部分から記事を書こうと思います。参考になれば幸いです。

 

 

7/29(Thu)

ワクチン1回目接種。

場所は大手町です。本当にスムーズで、滞在時間は接種後の待機時間を含めても30分程度だったと思います。

この際は当日夜に37.3℃まで熱が上がるも、それと接種部の腫れのみで副反応は終了。

 

8/26(Thu)

14:30 ワクチン2回目接種。

モデルナワクチンだったので、ほぼ1か月置いて2回目の接種。

この日の自分のコンディションは

・ちょっと寝不足

・ちょっと腹痛

でした。それでも電車内で寝て寝不足は幾分か解消され、大手町駅のトイレで腹痛も解消しました。下してたりはなかったです。

この日も接種はスムーズで、接種会場での体温測定から接種を終えるまでの所要時間はなんと8分でした。円滑な運営に感謝。

 

8/27(Fri)

1:00 早めの寝落ちから起床。この時点で37.3℃。

ここまでは予想通り。まだ熱上がるのかな、と思いながらアクエリアスを飲みつつダラダラ。

2:12 37.8℃まで上昇、カロナール服用。

ちょっとキツさが出てきたのもあり、早めの対応。

4:42 37.9℃

全くカロナールの効きを感じられず。これは個人差が大きい部分だと思うので効く人はしっかり効くと思います。

6:32 38.0℃

カロナールの服用から4時間経過。ここで自分が痛いときにいつも飲んでいる頭痛薬であるセデスを服用。一番安いやつです。ここからは基本4h間隔で頭痛薬を飲んでいきます。

8:14 37.5℃

薬効あり。熱は下がっていないものの、その他の部分でとにかく楽になっているのを体感。

10:33 38.3℃

しっかり4時間で薬効終了。よく言われている副反応そのまま。ここでセデスを切らしてしまったことに気づく。バファリンプレミアムを服用。

16:29 37.4℃ ,16:51 37.0℃

爆睡して起きると熱がだいぶ下がっていた。16:51頃にバファリンプレミアム服用。夕食はうどんを普通に食べてたと思います。

 

8/28(Sat)

1:49 38.0℃

あれ?熱が再度上がる。バファリンプレミアム服用。熱はあったけど、パソコンの前に座っている余裕はありました。

ここから記録取ってないけど午前中はたぶん寝たり起きたり。

 

13:39 胃に違和感。

ワクチン2回目を接種してから初めて胃への異変(ギャグも包含している。胃変、ってか?)を感じる。

とはいっても痛え~って言いながらYoutube見てたのでこの時はまだ大丈夫。頭痛薬の飲みすぎで胃が荒れたんだろうな~、と思ってました。

こんなツイートしてる余裕がありました。

 

16:05 36.9℃

ここで親に最初飲んでいだセデスとスクラートG(胃腸薬)を買ってきてもらいました。先にゼリー飲料を飲んでセデスを服用、少し時間をおいて夕食前にスクラート服用。

21:12 37.4℃

胃が~~~~って言いながら↓見てた。スクラート服用。結論としてはスクラートは今回全然効かなかったです。おそらくただの胃痛ではなかったからだと推測。

 

23:30 37.5℃

かなり胃がきつくなってくる。それでもゼリー飲料、太田胃散、セデスの3連コンボでどうにかしようとする。

 

8/29(Sun)

3:30 胃痛悪化。

胃痛を紛らわすためにサッカープレミアリーグ リバプールVSチェルシーを観る。

やっぱハイレベルなサッカーは見てて楽しい。ちなみにこの辺から本当に痛くて唸ってました。

6:00

ヤバい。

自室で意識が飛ぶのだけはなんとか避けないと、と思いリビングに移動。

ここから午前中は痛んだり落ち着いたりの繰り返し。熱は37.5℃前後を維持。

12:00 食事(お粥)

胃への刺激が怖かったが、痛みが勝ったためセデス服用。

13:00

休日診療所に行くも、胃腸を診れる医者がおらず断られる。

今回の診療拒否その1。横浜市のほかの病院を案内してくれる番号が載った紙だけもらって帰宅。ほかの病院に行くことも考えたが、下手に車に揺られて体調が悪化するほうが嫌だったのでとりあえず自宅安静。痛すぎて暴れてたけど。

この辺で実は胃痛より右脇腹の痛みが酷いことに気づく。

14:50~16:00 寝れた!

正確には気を失っていたのかもしれないが、とりあえず1時間ぐっすりソファーで睡眠を取った。ちょうど競馬中継を見逃した。

18:30 食事

何食べたかは忘れました。ただそんなに負担のかかるものは食べてないです。うどんかな?

19:00 腹痛再悪化、急患受診を決断。

休日診療所でもらった紙に書いてあった病院案内に電話し、2院紹介される。

しかし、両方断られる。

今回の一番つらかったところです。2院とも新型コロナ対策で少しでも発熱がある場合は発熱外来での診察となるため、取り合ってくれませんでした。

ただ、2院目から20:00以降の急患を受け入れてくれる診療所を紹介してもらいました。

19:30 診察してもらえることになる。

本当にありがたかったです。両親とも飲酒済みだったため、タクシーで病院に向かいました。

そこでの診察結果としては「腹膜炎等はなく、胃炎or盲腸の可能性が高い」というもので一晩分の痛み止めを処方してもらいました。とりあえず緊急性がないことがわかり一安心。

20:00過ぎに帰宅し、そこからはとにかく安静。念のためリビングに布団を敷いて寝ました。

22時くらいから翌5時まで記憶がないのでぐっすり寝ていたつもりだったのですが、一度母親がリビングに来たときはソファーで寝てたらしいです。マジで記憶ありません。痛すぎて目覚めて移動したのかもしれません。

 

8/30(Mon)

5:00 目が覚める。

かなり良くなっていました。熱も下がってました。二度寝もできそうになかったので、病院が開く8時までダラダラ。

8:00 診察を受ける。

病状や経緯を話してみて、やはり盲腸の可能性が高いという話でした。血液検査もしてもらい、1週間分の抗生物質が処方されました。

 

水曜くらいには8割方復調して普通に食事・飲酒もできるようになってました。酒しか勝たん。

 

そして

9/6(Mon) (今日)

血液検査の結果、様々な項目の数値を見るに

「断定はできないが盲腸の可能性が高い」

との結果でした。

具体的な数値の話をすると

・白血球数は平常値(6800)←血液検査時にはかなり症状も落ち着いており既に値が戻っていた可能性がある。

CRP定量が非常に高く出ていた(7.32,基準値は0.30以下)←体内での何らかの炎症反応が認められる。

・CKが基準値を下回る(47,基準値は男性で50-250)←筋肉へのダメージがあると上昇するもので、これが低いため筋肉注射であるワクチンの副反応とは考えづらい。

 

とのことでした。

とはいえ既に9割方復調しており、いったん通院は終了になりました。薬の処方ももうありません。ヤッター!!

 

まとめると、

・土曜夜に腹痛に襲われたため、翌日に近くの胃腸を診てくれる医者は休業。

・大きな病院はコロナの影響で少しでも熱があると簡単には診てくれない。(診てくれるとしても、いかなる病状でもコロナ患者の可能性を排除しないままの案内になる。)

・タイミングがワクチン接種と重なってしまったため、副反応と混濁し自己判断が遅れてしまった。

という不運が重なり本当にしんどかったです。

今、行きたいときに病院に行けない

という事実を身をもって痛感することになる一件でした。

今重病を患ったり、重大事故に遭ってしまうと、本当に簡単に死ぬかもしれないという危機感を植え付けられました。

ということで、今しばらくは

・マジでコロナ以外の病気にもかかるな!!

・事故るな!!

というのが自分の思いです。

防げ!と言われて簡単に防げるものではありませんが、この記事を読んでくれた皆様には健康であってほしいので、より一層普段の体調管理を万全に行ってほしいな、と思います。

自分は今も精神的にも全然ダメダメな日々を過ごしていますが、まあ1年後くらいにまた笑って会えればいいんじゃないですかね。

 

急速に冷え込んで体調も崩しやすいかと思います。本当に体調だけは保って生きていきましょう!

VTuber、もといインターネット、終わりです。

「あ~あ、辞めちゃった。」

 

 

21/6/30、元にじさんじ所属VTuber、鈴原るるの最終配信を観終えて最初に出てきた感想。

 

もちろん、この「あ~あ」には自分が最も好きなにじさんじという箱から、その左手のような存在として君臨したライバーが引退することへの喪失感というものは確かに存在するが、その感情はやはり3ヶ月前の引退劇と比べれば己の中では遥かに小さかった。

 

今回重要なのは、引退理由。

 

「脅迫じみたものを1度ではなく複数回受けていた。それは警察と相談することで一つずつ解決していけばいいものだが、そのたびに理由を有耶無耶にして活動を休止する期間が生まれることでリスナーに心配をかけることに耐えかねた。」

 

これが引退の主たる理由。(簡潔にしています。詳細は本放送のアーカイブからどうぞ。)

 

 

リスナーが最も望まなかったであろう、2021年6月でのピリオド。

ひょっとしたら、一部の"狂人"もこの結末を望まなかったかもしれない。

 

そして本人の配信での言葉を信じるならば、やはり当初は本人も望んでなかった結末になってしまったのだろう。ここは、今でもリスナーが好きで、配信が好きで、ゲームが好きという、彼女の言葉を信じてみよう。

 

 

それでも彼女の引退を止められなかった、その要因が99%以上のリスナーではなく1%にも満たないごく一部の"狂人"にあることは火を見るより明らかである。

 

 

インターネットは大きくなりすぎてしまった。

 

 

かつてのインターネットは限られた有識者がそこらに散らばった情報を吟味し、「嘘をうそと見抜く」ことで情報を仕入れていた。

だからこそ使用者のほとんどは現在言われる「ネットリテラシー」というものを当たり前に持っていたし、当たり前すぎるが故、そんな言葉は存在しなかったと思う。していたとしても現状のような大っぴらに言われる単語ではなかったことは間違いない。

 

インターネットへ情報を発信することの危険性をほとんどの使用者が分かっていた。

 

2010年代になり、徐々にスマートフォンが浸透し始め、人々の繋がりは手紙・電話・メールからLINE・TwitterFacebookなどへと変遷していった。未知との出会い、より密接な人間関係を求めた人間などによってそれらは急激に拡大した。

やがてインターネットは生活において必需となった。

必需となるということは、これまでインターネットに触れてこなかった"狂人"が半ば無条件にインターネットの野に放たれることを意味する。

 

インターネットを何も理解していない、周りが全く見えていない狂人が猛威を振るう。

 肥大化したインターネットの中で生まれた美しい文化が、醜い狂人によって壊されていく。

 それへのやるせなさが、「あ~あ」の中身。

 

 

あなたの何気ないインターネットでの言動・行動は、それを通して全世界へと拡がる。

 

盲目になっていないか?

他者に悪影響を及ぼしていないか?

 

影響を受けるのは個人個人であるから自己責任だろう、という考えもあるだろう。

しかし、かつての思考して用いるインターネットを通ってきた身としては、この無思考なインターネットの考え方は本当に残念で、息苦しい。

 

 

半年ROMれ」という言葉がある。

郷に入れば郷に従え、ということわざと似た意味であると言えば伝わりやすいだろう。

ROMとはRead Only Memberの略であり、「インターネット上である場の慣習がある程度理解できるまではその場で発言をするな」という意味合いである。

ネットリテラシーという単語が存在しない頃のそれを代替する代表的な言葉であり、かつてのインターネット使用者の殆どは理解していたと思う。

 

もちろん、今インターネットにおいて「半年待つ」必要はないと思う。しかし、今一度考え直してみてほしい。

 

インターネット上でも、相手は人。顔が見えないからと言って強情にならず、相手を考えたコミュニケーションを行うことが必要である。

 

発信が手軽になった今これを考える機会が減っている。その手軽な発信をする前に、0.1秒くらいこのことを考えるだけで、肥大化したインターネットの大きさを最大限活かした、呼吸のしやすいインターネットが返ってくるかもしれない。

 

自分が狂人にならないように、今一度再考する必要があるだろう。

 

 

だが、いま恐らくこの文章を読んでくださっている方に狂人はいないだろう。この文章が読めているのだから。

 

狂人には何を言っても無駄。狂人はこのようなことを理解できない。

 

だから自衛するしかない。

 

だが、狂人は自衛で守れる域を簡単に飛び越えてくる。強いて言えばインターネットを開かないことが唯一の手段となる。それでも時にはインターネットを飛び越え地上で武力行使をしてくる場合もあるのだから、防ぎようがない。

 

 

再考できる人間が再考したところで、真の狂人が蔓延っていては何の意味もない。正直者が馬鹿を見る構図の完成である。

 

インターネットは真の狂人によってすでに破綻してしまっている。

 

引退理由が明かされないことがほとんどであるVTuberという活動において、このような引退理由が語られた。これはインターネットのごく一部に過ぎないが、58万人の登録者を引き連れた活動者のダイイングメッセージと相成ってしまった。

 

そして今日、21/7/1にも登録者130万人を誇る、2020年にYouTube上で"世界一"を獲ったVTuberが引退する。

理由は多くは語られないだろうが、大きな要因にひょんなことから発生した「継続的な荒らしと誹謗中傷」があることは間違いない。

 

いよいよ氷山の一角が崩れ始めた。

推しが引退したらしい。

(注1)この文章は3/4 4:00頃から書き綴った文章をほぼそのまま掲載しています。投稿時と時間関係のズレがあることをご理解ください。
(注2)投稿タイミングの関係上タイトルが変わりました。(する→した)
(注3)VTuberというコンテンツへのメタが微妙にあるので微妙に注意してください。なるべく柔らかい表現で書いてはいます。


VTuber史上最大の引退劇。


およそ4時間前、月額メンバーシップ会員に向けて一つの発表がされた。

来週、配信活動2周年を以ての引退発表。

発表は突然だった。

23時過ぎに始まったメンバー限定配信(以下メン限とする)は冒頭にあった「後半に発表がある」という告知を除いて、普段どおり進んだ。ウマ娘の話とひろゆき西村博之氏)の話をしていたことは記憶にある。彼女の普段と変わらない、他愛のない話で進むメン限だった。
そして約1時間の雑談の後、発表に移る。
慣れたリスナーは冷やかしの如く言う。「お?引退か?」
彼女はこのような旨の発言をした。「来週の2周年を以て、にじさんじを引退する。」
正確な文は覚えていない。出来ればここは本人の言った言葉を一言違わず書き記すべきなのだが、自分にはそのメン限を聞き直す勇気がなかった。ここは是非小心者である私を責めてほしい。

そして、その言葉を今も受け入れられていない。本人の性格諸々を考えると、これらが全部大規模なドッキリなのではないかという気持ちがまだ心の中に在る。在るどころか、大半を占めている。


思えば引退への布石は至る所に散りばめられていた。
まず挙がるのはおよそ1年前の長期配信休止。毎日配信、人気絶頂の頃であり非常に驚いたと同時に、初めて推しの「引退」という二文字が脳を過った出来事だった。後に話を聞く限りこの休止は自己都合ではなく外的要因があったと推測できるが、詳しい言及はなく真相は闇の中である。
そして、彼女の十八番であるデレステガチャ配信で本人は1か月半に渡る不定期配信の状態からの完全復活を宣言した。この時私から「引退」の二文字は消えていった。
が、ここを境に彼女の配信は明らかにメン限に比重が行き始める。配信で行っていたことは徐々に動画へとシフトしていく。彼女が新たにハマったゲーム「ディズニー ツイステッドワンダーランド(ツイステ)」のガチャ動画は100万再生を超えるヒット作となり、この動画の前後で視聴者の男女比が変わったという話もあるほど。彼女もメン限にて「この方針に現状は満足している」という旨の発言をしている。
つまり、このあたりから全世界に向けた通常の配信に息苦しさを感じていたことを感じ取るのは容易かったということだ。

が、来る12/24、クリスマスイブ。私が起床すると彼女は突然「リングフィットアドベンチャー」の配信を開始し、既に終了していた。このあたりから彼女は人が変わったように、1年以上前のようにほぼ毎日配信をするようになった。

明らかな違和感を感じた。それでも私は、彼女が心変わりし配信者としてのメンタルを取り戻したのだと、結果としては「合理化」していた。このような結末がすぐそこにあるとはつゆ知らず。

今日のメン限のタイトルにも嫌な予感を感じていた。「お話」。短期的未来においていい話ではないということは経験上すぐ分かった。
が、不覚にも私はまだ「推しの引退」を体感したことはなかった。このような結末が待っていることは1時間前でも、なんなら1秒前にも予測できなかったのだ。

そして数時間経った今でも受け入れることは出来ていない。このような布石がたくさんあるにも関わらず、私はまだこの一連の話は全てドッキリだと思っている。ホギホギSSOという彼女のレギュラー番組が3/8で最終回という、確定された明らかな布石を持ってしてもこの思いは覆らない。


はあ、昨日のこの時間は別事務所の人のウマ娘の配信を見て楽しんでたなあ。その人はこないだの彼女の新衣装配信を見てこんなことを言っていたなあ。

もちろんこのような結末が故、叶わない話になるということは知る由もなかっただろう。



自分が彼女を知ったのは19年の8月頃。にじさんじを知ったのも同時期である。
19年8月というのは、当時にじさんじ内でも強い人気を博していたライバー、久遠千歳の引退した月である。
当時はにじさんじを知って日が浅く、正直この引退に対して強い思いを抱くことはなかった。(無論、にじさんじを知るにつれ久遠千歳の偉大さには気づくことになるのだが。)
だが、自分の知り合いにもショックを受けている人はいた。

そのショックを今、自分が食らう日が近づいている。
まだ実感は湧かない。
それでも、引退という事実が決行される前に、私は彼女に伝えなければならない。

私は認知されたくない意識が強く、配信でコメントをすることはほとんどない。それ故この文章が彼女に届くとは到底思っていない。
それでも彼女がインターネット上で一度"死ぬ"、その前にこのインターネット上に「感謝」の気持ちを記しておこうと思う。


御伽原江良、私を楽しませてくれて本当にありがとう。


ありえない話だと思うが、「御伽原江良」が"死んだ"後にでも、もし「彼女」にこの文章が届いたらそれは本望である。

今の自分は無力だから、推しに対してこれくらいしかできない。無念。



はぁーあ。推しがいなくなった後どう生きていこうかな。なんとか遺してた一部のアーカイブを切り抜いて、御伽原江良の伝説を後世に残す人にでもなろうかな。
いちからが許してくれたらやるかもしれません。やるときは一応許可取りに行きます。


そんなことを考えながら、どうしようもなく今を生きてこうかな、なんて思います。
ギバラ、2周年おめでとう。にじさんじ、3周年おめでとう。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

どっち?

自分は小さい頃、有能"でした"。

小さい頃から並外れた記憶力、計算力を発揮し、小学校は勉強せずともそこそこの成績、それでいて図工などの芸術的なセンスが問われる科目の成績も良い。運動神経は「とりあえず50m走が早ければちやほやされる小学校というコミュニティの中では」良いことになっていた。

中学生になり塾に入れば一躍成績は向上、○南ゼミナールの校内では常に最も上のクラス、中学校でも定期テストは常に上位。

 

そんな人間だったのでただひたすら親からも友達からもチヤホヤされて生きてきました。

親からは常に「お前は人より才能がある」「やればできる」とずっと言われてきました。なんなら今も言われます。

 

そんなことを人格形成が盛んに行われる小中学生の頃に言われ続けたらどうなるでしょうか。

 

「洗脳」されます。

その頃までの自分は「他の人間より勉強ができる」というところでアイデンティティを確立していた、そんな自覚があります。そして、それ、「他の人間より勉強ができる」は事実でした。

 

そんな自分も、中3で初めて勉学で挫折をします。

 

湘○ゼミナールの校内で良い成績を収めていた自分は、少数精鋭の上位クラスに招待されました。

そこで自分は初めて、自分より勉強ができる人間しかいない空間に突っ込まれました。初めて、本気で勉強でついていけないという経験をしました。

塾のために部活を相対する日々が続き、部活のメンバーと日を追うごとに疎遠になっていく。そんなつらい経験もありました。

 

結局その上位クラスにはいけなくなってしまい、自分は塾をやめてしまいました。

勉学も友達もなくなった。この中3の夏が最も死に近かったのは今過去を振り返っても明らかです。

その後はクラスの人間と仲良くやってたので結局はなんとか普通の日々を取り戻したわけですが。まあその頃から少しずつ休み癖みたいなのが付き始めていたのかな、という気もします。とまあこの話は逸れるので別の機会に。

 

結果として塾をやめても勉強量に貯金があったので第一志望だった横浜サイウンコカスンティア高校には合格しました。

高校に入るやいなや、周りにはスゲー人間がいっぱいいるわけですよ。自分よりすごい人間がうじゃうじゃいるな、と肌で感じました。

ここで素直に自分よりすごい人間がいることを素直に受け入れられたのは中3の経験があったからかもしれません。

 

ただ、それでも

「ここの8割の人間には学力で勝てる」

みたいな中3以前の勉強だけに自分を確立していた頃の自分の考えが残っていたことも事実です。スタディサポートみたいなやつ英語と数学10位台とかだったし。

高校の学年内で学力を測る一つの指針となるのは定期テスト。実際定期テストで30位くらいまでは出してたと思いますが、基本的に嫌な記憶なので忘れました。

 

 

だからこそ、高3の模試で全く結果が出せないときは本当に辛かった。それは勉強してるのに結果が出ないのではなく、勉強に打ち込めていない自分がいることを自覚している、そして当たり前のように結果は出ない。

そんな自分がどんどん嫌いになっていく。人生で唯一S神科にかかっていたのもこの頃ですね。まあ外れだったのか知りませんがなんも得られなかったんですけどね。

 

さらに夏にもいろいろありまして、自分の精神にとどめを刺されてしまいました。いろいろについては話すと来年になるのでまた今度。

本当に結果だけ端折って話せば、自分を全否定されました。

そこからの半年は最悪です。人生のどん底にいました。何もできなかった。体育出れなさすぎて卒業まあまあギリギリだったりしました。

 

結局全く勉強しなかったので当たり前のように浪人しました。とは言うものの当たり前のように浪人させてくれた親には感謝しないといけないなとも感じます。

ただその感謝を裏切るかの如く、結局浪人期も11月くらいまではそんなに勉強してなかったです。

じゃあその後は勉強したのか、って話ですけど。

しました。結局の所人生で一番勉強した1ヶ月は間違いなく浪人中、2017年の12月です。そう言い切れるくらいにはしました。

それは、自分はどこかで「勉強のできる自分」を捨てきれていなくて、少しでもいい大学に入ることで自分を納得させると同時に周りの人間の「勉強ができる人間である自分というイメージ」を壊さないようにしたかった、そんな思いがありました。

 結果だけ言えば自分の得意な部分に合わせた受験ができる上位大学を調べ上げ、そこに受かったわけです。

 

 で、心機一転大学に入ったわけですが。

やはり自分の学力に見合ってなかったというのがあります。「自分は勉強ができない」。そう再び痛感させられてしまいました。

それなのに高校名なんて言ったら頭がいいレッテルを貼られてしまうわけですよ。まあまあ近くの大学なので名前も知られているんですね。

さらに大学外で自分の大学の名前を言ったら「すごいね」みたいに言われるんですね。自分の学力に見合わない大学にいるのに。

 

このような以前の「勉強ができる自分」と今の「勉強ができない自分」という相対する2つの自分が存在します。この2つがぶつかり合って、今は完全に自分を見失っています。

自分に目を向けたくないから、麻薬のように音ゲーに熱中しています。それゆえ音ゲーがうまくなりました。正直嬉しさより脱力感のほうが大きいです。

 

自分はどちらなのでしょう。

モチベーションと気合だけで高2で国家資格を取った過去の自分が正しいのか。

何の特殊技能も必要としないまい○すけっとで働く今の自分が正しいのか。

どちらかに割り切れれば自分の精神はすごく楽になると思います。簡単に割り切れる人も多くいると思います。ただ自分が割り切るのにはまだまだ時間がかかりそうです。

 

 

勉強ができることだけを自我として生きてきた自分からそれが失われてしまった。その現状を一言で表すのが「何の取り柄もありません」なのかもしれません。

あなたの

ご無沙汰してます。今見たら3ヶ月ぶりらしいっすね。

ここ1ヶ月くらいはブログ書きたいなーと思いつつ、でも内容が思いつかないなーって思っていたら過ぎていました。

そんな感じで今日も起きて、二度寝して絶起していつものようにtwitterを開くとトレンドに見慣れた文字列がありました。

「ウェアハウス川崎」「電脳九龍城」

 

嫌な予感がしました。というのも半月程度前一部の界隈である噂が流れたのです。

「ウェアハウス川崎店が閉店するらしい」

ソースも曖昧で、日付等具体的な情報が一切なかったのでほとんどの人は信じず。さらに他の人がお店に直接問い合わせたところ「閉店の予定はない」との回答を得たようで、一度この噂は収束の兆しを見せました。

ただ、この時点で既に自分は察していました。火のないところに煙は立たないし、最近来訪したときに明らかにメンテナンス中の張り紙をしたまま電源が落とされていた台が増えているのを感じていたからです。

 

そして、無情の通告は今日突然行われました。自分が見たときには「ウェアハウス川崎」がトレンド2位、「電脳九龍城」が4位になるほど。

 

正直な感想を話すと、未だに実感が湧きません。というのも、自分としてはウェアハウス川崎というゲームセンターは日本でも5本指に入ってくる、日本を代表するゲームセンターだと思っています。その証拠に、平日に行くとめちゃめちゃ外国人の比率が高いです。あるゲームのサイトの登録方法が分からず、話しかけられたこともあります。外国人の旅行者が何らかで情報を知り、実際に訪れているのです。

最近のゲームセンター産業の衰退理由は基本的に採算が取れないからです。100円を入れて遊ぶゲームは110円に値上げができません。増税に伴って相対的に値下げを強要されているのです。しかしウェアハウス川崎にはこれは間違いなく当てはまらないだろうな、ゲームセンターの閉店理由がこれだけなら最後まで生き残るポテンシャルを秘めているだろうな、そう思っていたゲーセンです。

しかしゲームセンターの閉店理由はやはりこれだけではないのです。この一件に関して調べていると、あるツイートを見つけました。

言ってしまえば大人の事情ってやつですね。正直無くすには本当に勿体ないのです。というのもこのゲームセンターがなくなることで失われることがいくつかあります。

まず、このお店は現在の香港にあったスラム街、九龍城砦を再現するというコンセプトで作られています。その再現度はとても高く、テレビや写真撮影等のロケ地として使われたり、またその独特な雰囲気からデートスポットとしても名高いです。事実自分が"一人で"行ったときにもゲームしなさそうなカップルをよく見ました。幸せになりたい

そんな場所が、首都東京からも程近い川崎にあるということで様々な面から需要があったと推測できます。

そしてそのレトロな雰囲気であることも相まって、このお店には今はサービスを終了してしまったゲームや非常に古いゲームが多々設置されています。物によっては日本の中でここでしか稼働していないようなものもあると聞いたことがあります(要出典)。

そのようなレトロゲームの宝庫が1ヶ月後失われようとしています。

 

残念ながらウェアハウス川崎九龍城が閉店するという事実は揺るぎません。閉店理由が前述のとおりなら移転等も検討されているのかもしれませんが、実現するとは限りません。

ウェアハウス川崎というお店から始まったコミュニティが自分にはあります。コミュニティはまだ続いています。そして、これからも続いていきます。

同じ場所であの空気、雰囲気を体感することはあと1ヶ月しかできません。ゲームに興味がなくても、アートとしてそれを感じに一度来訪していただきたい、そんな素敵な場所です。

「わたしの」ウェアハウスが無くなります。「わたしたちの」ウェアハウス川崎九龍城が、今14年の歴史に幕を下ろそうとしています。