どっち?

自分は小さい頃、有能"でした"。

小さい頃から並外れた記憶力、計算力を発揮し、小学校は勉強せずともそこそこの成績、それでいて図工などの芸術的なセンスが問われる科目の成績も良い。運動神経は「とりあえず50m走が早ければちやほやされる小学校というコミュニティの中では」良いことになっていた。

中学生になり塾に入れば一躍成績は向上、○南ゼミナールの校内では常に最も上のクラス、中学校でも定期テストは常に上位。

 

そんな人間だったのでただひたすら親からも友達からもチヤホヤされて生きてきました。

親からは常に「お前は人より才能がある」「やればできる」とずっと言われてきました。なんなら今も言われます。

 

そんなことを人格形成が盛んに行われる小中学生の頃に言われ続けたらどうなるでしょうか。

 

「洗脳」されます。

その頃までの自分は「他の人間より勉強ができる」というところでアイデンティティを確立していた、そんな自覚があります。そして、それ、「他の人間より勉強ができる」は事実でした。

 

そんな自分も、中3で初めて勉学で挫折をします。

 

湘○ゼミナールの校内で良い成績を収めていた自分は、少数精鋭の上位クラスに招待されました。

そこで自分は初めて、自分より勉強ができる人間しかいない空間に突っ込まれました。初めて、本気で勉強でついていけないという経験をしました。

塾のために部活を相対する日々が続き、部活のメンバーと日を追うごとに疎遠になっていく。そんなつらい経験もありました。

 

結局その上位クラスにはいけなくなってしまい、自分は塾をやめてしまいました。

勉学も友達もなくなった。この中3の夏が最も死に近かったのは今過去を振り返っても明らかです。

その後はクラスの人間と仲良くやってたので結局はなんとか普通の日々を取り戻したわけですが。まあその頃から少しずつ休み癖みたいなのが付き始めていたのかな、という気もします。とまあこの話は逸れるので別の機会に。

 

結果として塾をやめても勉強量に貯金があったので第一志望だった横浜サイウンコカスンティア高校には合格しました。

高校に入るやいなや、周りにはスゲー人間がいっぱいいるわけですよ。自分よりすごい人間がうじゃうじゃいるな、と肌で感じました。

ここで素直に自分よりすごい人間がいることを素直に受け入れられたのは中3の経験があったからかもしれません。

 

ただ、それでも

「ここの8割の人間には学力で勝てる」

みたいな中3以前の勉強だけに自分を確立していた頃の自分の考えが残っていたことも事実です。スタディサポートみたいなやつ英語と数学10位台とかだったし。

高校の学年内で学力を測る一つの指針となるのは定期テスト。実際定期テストで30位くらいまでは出してたと思いますが、基本的に嫌な記憶なので忘れました。

 

 

だからこそ、高3の模試で全く結果が出せないときは本当に辛かった。それは勉強してるのに結果が出ないのではなく、勉強に打ち込めていない自分がいることを自覚している、そして当たり前のように結果は出ない。

そんな自分がどんどん嫌いになっていく。人生で唯一S神科にかかっていたのもこの頃ですね。まあ外れだったのか知りませんがなんも得られなかったんですけどね。

 

さらに夏にもいろいろありまして、自分の精神にとどめを刺されてしまいました。いろいろについては話すと来年になるのでまた今度。

本当に結果だけ端折って話せば、自分を全否定されました。

そこからの半年は最悪です。人生のどん底にいました。何もできなかった。体育出れなさすぎて卒業まあまあギリギリだったりしました。

 

結局全く勉強しなかったので当たり前のように浪人しました。とは言うものの当たり前のように浪人させてくれた親には感謝しないといけないなとも感じます。

ただその感謝を裏切るかの如く、結局浪人期も11月くらいまではそんなに勉強してなかったです。

じゃあその後は勉強したのか、って話ですけど。

しました。結局の所人生で一番勉強した1ヶ月は間違いなく浪人中、2017年の12月です。そう言い切れるくらいにはしました。

それは、自分はどこかで「勉強のできる自分」を捨てきれていなくて、少しでもいい大学に入ることで自分を納得させると同時に周りの人間の「勉強ができる人間である自分というイメージ」を壊さないようにしたかった、そんな思いがありました。

 結果だけ言えば自分の得意な部分に合わせた受験ができる上位大学を調べ上げ、そこに受かったわけです。

 

 で、心機一転大学に入ったわけですが。

やはり自分の学力に見合ってなかったというのがあります。「自分は勉強ができない」。そう再び痛感させられてしまいました。

それなのに高校名なんて言ったら頭がいいレッテルを貼られてしまうわけですよ。まあまあ近くの大学なので名前も知られているんですね。

さらに大学外で自分の大学の名前を言ったら「すごいね」みたいに言われるんですね。自分の学力に見合わない大学にいるのに。

 

このような以前の「勉強ができる自分」と今の「勉強ができない自分」という相対する2つの自分が存在します。この2つがぶつかり合って、今は完全に自分を見失っています。

自分に目を向けたくないから、麻薬のように音ゲーに熱中しています。それゆえ音ゲーがうまくなりました。正直嬉しさより脱力感のほうが大きいです。

 

自分はどちらなのでしょう。

モチベーションと気合だけで高2で国家資格を取った過去の自分が正しいのか。

何の特殊技能も必要としないまい○すけっとで働く今の自分が正しいのか。

どちらかに割り切れれば自分の精神はすごく楽になると思います。簡単に割り切れる人も多くいると思います。ただ自分が割り切るのにはまだまだ時間がかかりそうです。

 

 

勉強ができることだけを自我として生きてきた自分からそれが失われてしまった。その現状を一言で表すのが「何の取り柄もありません」なのかもしれません。